ヨーヨーの歴史(後編)

2000年、ハイパーヨーヨーのブームが沈静化し、一気にプレーヤーの数が減りました。
また、バンダイの商品展開の撤退に伴い、大会やイベントもなくなり、業界は一気に縮小傾向へ。
 
この時ですが、業界の人は既に動き出しており、長谷川貴彦氏を中心に、プレーヤー主導の大会「Yo-Yo Competition vol.01」が1999年12月に開催されていました。
それがUTYJ(日本ヨーヨーチーム連合)と呼ばれる新しい団体の始まりです。
2000年には地区大会予選も開催するような規模となり、2002年まで続きました。
 
このあたりから、ヨーヨー自体も更なる進化を遂げ、現在主流となっている大径ベアリングを搭載したモデルが出始めました。
そう、今は活動を終了してしまいましたが、あのヨーヨージャム社のヨーヨーの誕生です。
また、ヨーヨジャム社のヨーヨーの普及に伴い、1Aのスタイルが一気に進化。
2A主体だったスタイルが一気に1A主体に変化していきました。

 
2002年からはUTYJに代わって新しい団体「JYCC(日本ヨーヨーコンテスト委員会)」が発足、ヨーヨーストアリワインド店の荒牧淳氏等が運営ホストとして活動していました。
そして、2003年に今も続いている全国大会「Japan National Yo-Yo Contest」が開催されました。
運営組織は2006年に「JYYF」へ移行。今なお、運営が続けられています。
 
この年代から2008年ぐらいまでにかけては、金属リム搭載機種の使用が当たり前になり、皆使っていました。
オフストリングのヨーヨーも同社のアクエリアス、ビッグヨーが主流。まさにヨーヨージャムの時代でした。
 
現在は自身でブランドオーナーを務める鈴木裕之氏も、昔はヨーヨージャム社とスポンサード契約を結んでいたチームメンバーです。
彼のシグネチャーモデルであるスピーダーをはじめ、ヨーヨージャムは多くのヨーヨーを世に出しました。

 
しかし、そんな一強時代も長くは続きませんでした。
 
2007~2008年頃には、フルメタルヨーヨーの性能が開花し、44re:creation(現yoyorecreation)、yoyofactoryの2社が一気に業界の流れを変えました。
開発に遅れをとっていたヨーヨージャム社はここから徐々にシェアを奪われていってしまいました。
ちなみにスプラッシュカラーで一世を騒がしたCLYW社も既にこの時にありました。

 
 
世界チャンピオンを生んだということもあり、ここから一気にフルメタルヨーヨーが普及し進化。
また、ヨーヨーの形状も大きく変化し、現在も採用され続けているローエッジ形状が定着してきました。
この形状は後々オフストリングのヨーヨーにも活かされてきます。

 
 
2010年頃には形状の変化は落ち着き、高性能かつ高精度なフルメタルヨーヨーの普及が続いていました。
 
そして2012年〜
世の大会でフルメタルヨーヨーの使用がもはや当たり前になり、普及しきった時でした。
様々なメーカーが更なる性能をもつバイメタル機種の製造を始めました。

 
 
これが今も使われ続けている現在のヨーヨーです。
当時はこれ以上進化しないだろう、普及しないだろうと言われていたフルメタルヨーヨーが当たり前の時代になって、
更なる性能を持つようになったのだから、未来は怖いものです。
今もこれ以上の進化はないだろうと思っていますが…また新しい構造や素材の組み合わせで劇的に変わる日がやってくるかもしれませんね。
 
変化が特に大きかった1A向けのヨーヨーにスポットを当てて書かせていただきましたが、
機会があれば2A用のヨーヨーや、4A用のヨーヨーについても書きたいと思います。