2Aの生い立ち【ぱーとつー】

みなさんこんにちは!

44FESTA Crewのじゅんです!

最近豚丼を家で作ったのですが、青のりと揚げ玉をご飯に敷いて食べたらめちゃめちゃいい感じでした!

 

前回98年のダブルハンドのシーンについて書かせていただいたので今度は99年のダブルハンドのシーンについて書いていこうと思います。
 
【1999年くらい】

99年の冬には第4回JCSの地区大会がスタートしました。 ちなみにこの時のフリースタイル部門は予選は当日発表の規定トリック+ロングスリーパーで通貨人数が50人中10人とかだったのですが、2ダブルハンドのトリックはもちろんシングルハンドのトリックもなかなか当時のレベルを考えると容赦ない感じでしたね。

THP-Japanレベルというものの中から出されるものがほとんどでヨーヨーチェンジは不可だったのでロングスリーパーのためにレイダーを使うか、安全のためにステルスレイダーを使うのか。。結構その辺は駆け引きだったと思います。

 

ちなみに第3回JCSからフリースタイル部門は開設されたのですが、2A元日本チャンピオンのエバタキワム君は関東大会のこの狭き門を全部通過していました。。。ほんとすごいです。

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そしてこの地区大会で今でも使われるトリック「クリオネ(クロスクリオネも)」、「スクリュー(バリアブル、スティアケース)※螺旋階段という呼び方もありました」、「サブマリン」、「クロスパンチングバック」、「腕かけ」などかなり多くのトリックが各地の会場でTHP-Japanを初めとしたトッププレイヤーたちにより披露されました。

 

ちなみにバンダイの大会ではナイロンスペーサー、薄ベア等の改造は禁止となっていたのでノーマルのFireball、Raiderをどれだけ使いやすくできるかがかなりポイントとなっていました。

そして99年4月4日幕張メッセにて第4回JCSファイナルが行われました。 当時はこの規模感がどれだけすごいのかわかっていなかったのですが、今考えると幕張メッセでヨーヨーがメインのイベントをやっていたってものすごいことですよね。。

 

この大会で現在の2Aの基礎部分となるルーピングの形が確立されたと自分は思っています。

地区大会で披露されたクリオネ、スクリューなどの完成度がものすごく高くなっていたこと、シマザキマサヤ選手がビハインドバックループを利き手の逆で行っていたこと、技全体の完成度が全国的にすごく高くなっていてフリースタイルのレベルがグッと上がったタイミングでしたね。

 

そしてその表舞台の裏でぼくはFIST SALUDのリーダーハヤシカズキくんに初めて出会ったのでした。。(まさかこの時は生年月日が一緒だとは思いませんでした。。。笑

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そんなすごトリック、フリースタイルが披露された年の夏にハワイで世界大会が開催されました。

 

ここでも上位はほぼ日本人、トリックもかなりの速度で進化しておりデビルウィングなんかのトリックにみんなチャレンジし始めたのもこの時期でした。

この時の上位は半端ではなくすごかったんですが実際下位の選手でもかなりうまかったです。

 

ちなみにミイ君がこの時にオフストリングだけでシングルハンドに出たのがきっかけでX部門(1A、2A以外のスタイル)が開設されました。※ちなみにこの時は2位!

 

余談ですがGaryLongoria(鼻眼鏡って呼んでました)がシングルハンド部門に出場したことでシングルハンドのトリックも大きく変わり始めたタイミングでした。(シーシックなどのトリックが生まれました)

 

昔はメガチーム部門っていう大人数のチーム部門があったんですがこれもしっかり揃うとかっこよかったんですよ~

 

現ヨーヨーマスターのスティーブはモヒカンで見た目めっちゃ怖い人でした。

 

こんな感じのものすごい衝撃をこの年の世界大会は残してくれました。

そんな世界大会が開催されている中、僕は東京ドームで初めてサイトウシンジ君に会ったのでした。。

 

ということでながくなりましたので続きはまた次回! また会いましょう!