コラム:昔の3A部門について

44FESTA Crewのはっしーです。
 
最近はもっぱら2Aで大会やイベントにお邪魔することが多いのですが、実は復帰してすぐに3Aを始めており、2010年の世界大会で3A部門で予選を突破。
「2010年の3A部門ファイナリスト」という肩書きを持っています。まさに奇跡でした…笑
多分、知らない人のが多い…(==;)
 
ということで、自分なりに3A部門の経験を活かし、3A部門の変化を紹介して行ってみようと思います!!
 
まず、3A部門ですが、競技人口の少なさから、当初は「X部門」として3A、4A、5Aが混合した部門として扱われていました。
先人たちの活躍により人口も増え出して功績が認められ、正式に部門として独立したのは2003年から。
 
この頃のヨーヨーのセッティングは主に両手とも引き戻しのヨーヨーでした。
また糸自体も今ほど短くなく、1Aの長さと変わらないぐらいでした。
今では皆当たり前のように両手共バインド仕様のヨーヨーを高速で扱いますが、この頃は慎重に落ち着いたプレイを行う時代でした。
ちょっとした刺激でヨーヨーが戻ってきてしまったりして、非常にシビアなプレイを要求されていました。
トリックの数も本当に少なくて…今ではやる人こそいなくなってしまいましたが、もう一方のヨーヨーの溝を指のように例えて行うアシステッド系のトリックや、皆思い思いのパフォーマンスやトリックの動きで演出を行いフリースタイルの構成を創意工夫されていました。

ちなみにこのアシステッド系の技はヨーヨーにかなりの負荷がかかるので、当時のヨーヨーのセッティングでは無理があるぐらいの高回転と高い操作性の二つを求められていました。
 
そして、この頃の有名選手として挙げられるのは、やはり以下の2名です。


  • Daisuke Shimada

  • Jun Aramaki

 
二人とも当時最先端のメーカーであったヨーヨージャム社のスポンサードメンバーです。
シマダ ダイスケ選手は2003年から2005年にかけて世界タイトルを取り続け、ずば抜けた難易度の技を披露し部門を牽引してきました。
アラマキ ジュン選手は2001年に当時最大の難易度だったツーハンドトラピーズ(通称:ツートラ)を世界のステージで決め、3A部門の存在の凄さを業界に知らしめました。
業界では歴史を作った伝説のフリースタイルと言われている程です。
3Aを始めたばかりの頃、このあたりのフリースタイルは何度も見ていました。
 
現在の3Aの状況に辿り着くにはまだまだ色々な変化があるのですが、都度都度ご紹介していければと思っています。
 
 
記事:はっしー